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    東日本大震災。その時何をどうして居たのか。何を感じたのか?

    東日本大震災の当日行動と被災地絵の思いと対応を考える

    東日本大震災に思い出す事

    東京に居たのに恐ろしかった。恐ろしいと感じるだけで済みましたが、東日本の人は生死を分かつ大変な中にいた。その上で原子力発電所・放射能問題を抱え続けている。今だに生活を考えると大変な中に居ます。

    東京に住んでいて良かったとつくづく思います。

    目次

    東京にいた私のその日

    地震のその時 打ち合わせに

    某デパート関連企業の常務と打ち合わせのため新宿に居ました。

    まさに、打ち合わせの先方の本部に行く途中でした。

    伊勢丹デパートのビルとビルの間に居ました。

    あの軍艦のような横に長い確りとした建物が揺れて見えました。

    グワーンと体が揺れているような変な感じです。・・疲れからの錯覚??

    打ち合わせの時間が迫っています。急がないと・・

    伊勢丹の通路の道を急いで歩いていると・・若い女性たちが声をかけてきます

    「危ない ビル中に入って」

    本当に揺れている。錯覚じゃないんだ。

    見上げると、あの軍艦のようなビルが・揺れるはずのないビルが揺れているんです。

    ビルに貼り付けてあるレンガ?が落ちてきます。耐震等しっかりしているはずのビルから、壁に張り付いているはずのものがパラパラと幾つか落ちてきました。

    此処のように壁に貼り付けているものがあるビルは多くあるはず。それが落ちるなんて思わなかったでしょう。今思うと危ないところでした。

    東北はこんなものじゃない。パラパラ落ちるではなくビルが潰れる・倒れる、流される。原発崩壊 白い煙が・・です。

    まさか、「大震災」だとは一人歩いて居た私は思わず、一度入った伊勢丹1Fロビーから揺れが止んだので直ぐに出て、取り敢えず先方の処に顔を出しに行きました。

    上を下へと大騒ぎです。

    担当の責任者が、叫んでいます「常務 来ましたよ」「常務 来ましたよ」

    「あ ご苦労様・・」

    「お構いなく 帰ります また時間をください 少し此処に居させて下さい」

    「OK ずっといて良いよ」「また時間作ろう ごめん 上に戻る」

    先方も心配してくれていたようです。まさか来るとは・・邪魔者です。

    ここに来て、起こっている内容全体がつかめました。

    ・今大変なことが起きている 大震災 日本沈没級 ??原子力??

    ・営業として 仕事としては最善 ここまで

    ・邪魔者である

    安全を確認し立ち去ろう

    一人新宿で最善を探し行動

    まず安否の確認連絡(公衆電話の利用)・身の安全を確保

    公衆電話を利用しよう

    良く仕事で降り立つ新宿・遊び場の新宿なので公衆電話の位置が判っていました。

    公衆電話は電波と違い、混戦したりして繋がらないという事はありません

    テレホンカードも100円玉も持っている

    新宿三丁目方面から、紀伊国屋書店の方角に進み、アルタ手前の道路を渡る前の歩道にある公衆電話に入り電話をかけました。此処は、道幅が広く空いている上に車の通りも少なく、低い建物が多く、倒壊による危険も少ない。そして、人も余り居ないのに新宿駅に向かいやすいところです。他の人は公衆電話に入る事を考えていないのかボックスは空いていてユックリと電話をかける事が出来ました。

    家に電話をすると

    普段気弱な妻が毅然としていました。心配掛けまいと朗らかに聞こえるように自宅の様子を話してくれました。美容室に予約して行っている時に揺れが来たそうです。美容室の水槽がすごく揺れ水が溢れたそうです。自宅が心配で帰ると偶然にもいつも居ない子供達が家に居て、私以外の安否を確認することもなく安堵する一方、私のことを心配していたところへ私から電話が来たのでホッとしたようです。家にいても、何度か強い揺れがありいつこのボロ家が倒れる?潰れる?か心配だったけれど、ものが落ちてきたりと云った事も無く全員無事だとの事でした。私の家の地域では被害はない様子でホッとしました。

    会社に電話をすると

    羽田空港に向かった営業は、

    空港から出る事が出来ず其の儘空港内で待機になったとの事。後日聞くことによると、全員に毛布を配られ暖を取ったそうです。(水の配給もペットボトルであったと記憶しています)安全な建物・いざと云時の備蓄も確りしていました。

    後は、本社にいる事務員等をどうするかです。

    徒歩圏内の人はルートを確認し帰宅して貰い、遠方の人で帰宅を希望する人は営業車両で品川・横浜方面、環七を大森から赤羽方面そして川口・埼玉へ、岩本町・馬喰町・錦糸町を14号(京葉道路)を使い千葉方面へ等、営業に安全を確認しながら、トイレ用の紙おむつや簡易紙トイレと水を確保して、ガソリンを行きつけのスタンドで満タンにして行く事。地図に運行予定を記入して(赤鉛筆で道路にマーク)出発すること。無理をしないこと。予定通過道路から逸れる時もあると思うが、できるだけ早く戻ること。安全第一・安心第一で行動するように(何故か心の安堵・心配しないで済む行動で疲れたら休むこと、時間が掛かっても止むを得ないことをみんなに承諾して貰い、心を一つに行動して欲しいと電話で伝えました)

    さて、私はどうしよう

    どこに居ようか?

    地上は車・ビルで危ない。

    そうだ、十分に非常事態を検討し作ったであろう地下に逃げよう。

    帰宅に利用する路線の改札近くで情報が見える所・スピーカからの声がよく聞こえる所・公衆電話がある所(改札近くは大概あります)・頑丈な柱のある所に陣取りました。

    そして、カバンから新聞を出しお尻に敷き冷えるのを遅らせ・カバンを背に当て座って居ました。情報掲示板とスピーカーから流れる情報を確認しながら只々座って居ました。暫く(何時間かすると)安全を確認できたので始発列車として新宿から電車が動き出すとの事です。改札を開くまで暫くお待ち下さいとの事。すぐに公衆電話より自宅と社長へ連絡をして帰宅の途に付きました。すぐ前の改札に列び、待つ事数分。ホームに降りて乗車口前に列び始発車両に乗り込みました。

    電車内は大変でした。

    角の座席に座る事が出来ました。只、満員電車といった安易な状況ではありません。立ってる人は大変です。爪先立ちになるような状況です。

    座っている私は、人の顔が間近に・女性の胸が顔のところにあります。普段なら嬉しいところですが鼻を偶にくすぐり目に入りそうで困ります。手で避けることも相手が若い女性では出来ません。出来るだけ顔をよじり避けるだけです。首が辛くなります。

    座る時にカバンを座った足の上に立てて置きました。このカバンを立てて腿の上に置き持って居た事が功を成し、少しだけ自分の前に息ができる程度の空間を作る事が出来ました。辛い帰宅時間でしたが、座れて息ができる状態であり、立っている人と違い汗をかいても拭く事が出来、疲れも少しは立っている人より良かったと思って居ます。

    立っている人は、つり革に掴まっている事が無駄なくらい身を捩って「おしくらまんじゅう」のように皆んなが密着して、顔を歪ませて、眉間に皺を寄せ、汗を顔一面に吹き出し(背中等もきっと汗だらけだと思います。見えません)一塊で列車の揺れに合わせて動いて居ます。身を任せて居れば疲れないかもしれませんが、汗かきの私には無理です。汗を拭き空間を作る事が出来幸せでした。

    また、暫く乗り何駅かすると空いてきました。乗車規制で乗り込む人が居なく、下すだけだったかもしれません。現状はどうだったか解りませんが、少しずつ空いてきました。

    始発駅の新宿で待機し・改札近くにいた事が正解でした。

    空いてきても、立っている人は普段の通勤と同じ疲労の蓄積のある状態です。座っている私は、少しずつ疲労が取れ眠くなってきました。普段、飲み会の後には何時迄立っても最寄駅に着かず往復し終点で下されることもありますが、この時は、そうならないように必死に起きて居ました。

    最寄駅からは自転車です。次の日が休みで良かった。

    震災に遭っている東北の人には申し訳ありませんでしたが、体を洗いユックリと眠る事が出来ました。

    ニュースではデズニーランド周辺では(埋め立て地域なので)液状化現象により地盤が波打ってしまい、家屋・道路がダメになった様子・ライフラインが大変な状態になっている箇所もある事を伝えて居ました。また、この地域では放射能部質が川を伝い流れてきて放射能の濃度が高いとの事でした。

    今も、至る所で地震の被害があります。直接の震災被害を受けて居ない私ですら、レンガ等に当たりそうになったり、一時的ですが帰宅困難になったりしただけですが、大変な思いをしました。

    今だに苦しんでいる東北を訪れましょう。ふるさと納税や出来る事をしましょう。

    今年令和6年1月1日の石川県能登方面はマグニチュー度7.6で阪神淡路大震災7.3よりも大きな規模でした。新幹線開通により近くなりました。出来るだけ復興につながる行動をしてあげたいと思います。

    まとめ

    偶然が重なり正解に近い行動ができたと思って居ます。

    ・公衆電話の活用 ・安全確保のための地下の活用 ・持ち物に新聞紙があった(暖が取れた)

    ・改札近くで待機 ・情報確認できる位置にいた

    この日以来、

    カバンには今だにテレホンカード(大量に作って持って居たため)百円玉と新聞紙に保冷・保温用のアルミバック(百均で購入)を入れて持ち歩いて居ます。水筒やペットボトルも持ち歩き水分補給ができるように心がけて居ます。それと、スマホ用のバッテリーも持ち歩いて居ます。

    書き忘れましたが、

    当時は携帯電話はガラケーでした。

    その日にバッテリーは持って居ませんでしたが、太陽光発電による充電器をガラケーに挿して持ち歩いて居ました。それと、ガラケーにアプリを入れPC連動・情報確認が出来る様にしてありました。

    会社でも、その日以降社員に防災用具として水・羊羹・ラジオ兼ライト兼バッテリー等が一つになった機器・簡易トイレなどの入ったリュックサックを配りました。毎年、何らかのものを配って居ます。

    震災にあった人・地域への援助はもちろんですが、自身の備えも確りして行きましょう。

    ふるさと納税、被災地の方々の催事での商品の購入、募金(公的募金)、観光(観光地として立ち上がったところから)、寄付(先方へ確認しての物資輸送・・必要と届け先の確認を)など経済関連のほか、ボランティア(自立できる人??宿泊等確保・・?か色々と確認をしてから行動を)など色々と自分にできる範囲で・・人と話す時に、気にかけてあげるだけでも

    一緒に良い方向に行ける様に心を一つにして行きたいと思います。

    ではまた。

    おつまみには、震災を思い保存している缶詰のうち鯖缶です。カレーや牛丼などの缶詰もあります。

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